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テレビジャック

今、わが家には中学1年生と小学4年生の2人の女の子が滞在中である。母親同伴で来たのだが、母親は仕事があって、1泊だけで帰っていった。二人の女の子は、あと3泊する予定である。

昔、よその家に泊まった時、その家の御主人を中心とした生活のやりかたに順応するため、アンテナを張り、すべての注意を家族の動きにむけて、自分の位置が家族に迷惑をかけないよう、つとめたものである。
当時はテレビがなかったから、チャンネル権の問題もなかった。

これは現代風というのだろうか。この二人は普段の生活の中で、テレビから隔離されているらしい。下の女の子はバイオリンの練習があり、毎日、テレビをみる暇もないようだ。上の娘は、勉強なのだろうか。
母親がいなくなって、さあ、テレビを禁止する人がいなくなった。

「おじちゃま、テレビをみてもいいですか?」と可愛く聞いてくる。つれあいにしてみれば、別に禁止する理由もない。「いいですよ」と返事したのが運のつき、テレコマンドは彼女らの手中に握られた。
「勉強は?」、「歯磨きは?」、「お風呂は?」と問いかけても、上の空、テレビに夢中である。

すっかりテレビジャックされた老人二人は、さしてみたいという番組もないまま、パソコンで時間つぶしだ。こんな時間も、母親が不在だからこそできるのだろうし、これがいまどきの若者なのだ。つれあいがこわがられもしないし、けむたがられもしない、それはいまどきの老人のあるべき姿かもしれない。

村の花火大会

7月の最終土曜日は、例年、村の夏祭りである。今日は、朝からいいお天気で、お祭りであることをしらせる花火が打ち上げられている。
ますつかみ大会、太鼓、踊り、少年少女合唱団、空気早入れ大会、ほか、いろんな催しが日中に行われ、夜7時半から1時間、花火大会である。花火の数は2000発、これだけのスポンサーをつけるのは大変なことだ。

村の人にとって、4月末の市、7月の村祭り、11月の文化祭、楽しみな催しだ。昨年は、4月の市とともにこの花火大会が、大震災の自粛で中止となった。
今年は期待感で盛り上がっていた。それなのに。。。。

あまりの暑さに、3時ごろから雲行き怪しく、とうとう雷雨となってしまった。花火大会はどうなるのだろう。吾妻川の岸は濡れてしまって、見物するための場所取りをしたひとたちもかわいそうだ。

2000発というのは、1時間もあれば終わるけれど、その時間帯だけでも、雨がやんでほしい、と祈るような気持ちで待っている。

とうとうどしゃぶりになったけれど、花火大会は強行された。花火を打ち上げる音をききながら、自宅にとどまった自分のふがいなさが腹立たしい。かといって、この土砂降りの中、見物して面白いものでもない。

例年、日中が好天であればあるほど、花火の時間には雷雨になることがある。皮肉なものである。

最低賃金

一昨日、新聞に全国の最低賃金(時給)が載っていた。日本では県別で最低賃金が異なる。私の住む群馬県は、関東地方では最低の690円である。東京は最高で837円、次は神奈川県の836円である。

この新聞の解説によれば、「最低賃金は法律で労働者に保障された最低限の賃金。毎年夏に労使代表と公益委員の3者で構成する中央最低賃金審議会(厚生労働相の諮問機関)の小委員会が議論し、都道府県ごとの引き上げ額の目安を決める。」という。

この最低賃金、2020年には1000円に、というのが目標とか。全国一律で1000円を目指しているのだろうか。最低賃金をあまりあげると、雇用にひびくというが、それとは別に、時給換算した生活保護水準を、最低賃金が下回る「逆転現象」も生じている。

北海道、青森、宮城、埼玉、千葉、東京、神奈川、京都、大阪、標語、広島などで、その逆転現象がおきているそうだ。
最低賃金で働くとどうなるだろう。群馬県では、8時間労働で、1日5520円、月25日では13万7000円になる。
どんな労働かはわからないが、本当に最低の賃金であるということがわかる。

フランスではSMICといって、全国一律(海外を除く)だが、日本では県別、なにか地域の格差を感じさせる。大阪の橋下市長は、消費税を地方収集にして、地方の自主性にまかせるという説だが、消費税額の差も生じよう。最高額の東京で837円、最低額は645円(岩手、高知、沖縄)、差は192円もある。これを一律にするのも難しいだろうが、一つの課題ではあるだろう。

パート募集の広告がはいるけれど、ホテルの清掃やレストランの洗い場担当の仕事で、時給はだいたい700円見当だ。そういえば、半分ボランチアの子育て支援では、500円くらいではないだろうか。
働いて報酬を得るといのは、なかなか難しい。

オリンピックをアマの手に

ロンドンオリンピックが始まる。もうすでにその報道量にうんざりしているのは、私だけだろうか。オリンピックの金メダルが、そんなに大切なのだろうか。

その昔、オリンピックがアマチュアだけのものであった時代がなつかしい。こんなに放送もされなかったから、静かに楽しむことができた。プロはプロの試合があって、そこで最高の能力を示せればよかったのだ。

そもそもスポーツというのは、生活に余裕のある人がするものだった。そういえば、余裕のない人ができないのは平等ではない、ということになるが。
アマチュアといっても、共産圏の国々は、ステートアマの存在があったし、必ずしも、本当にアマチュアというのはいなかったのかもしれない。

たとえば、体育の教師などは、スポーツでお金を得ているのだから、アマチュアではないといった、アマチュア規定の厳格な適用が問題になったこともあった。そんな時代は夢のようだ。

戦争という国威発揚の場が、スポーツの場になりかわっているのだろうか。国単位で、国旗を掲揚して、メダルの数を競い合う。
強化費の高を競うほうが、軍事費を競うあうよりよっぽどいい。

これから3週間、全メディアが国粋主義に陥る。これはどこの国に逃げても、その国がそうなるだろうから、地球を逃げるよりほかはない。

スペイン王室の必要性

よその国のことだから、余計な事に決まっているのだが、一昨日、テレビ朝日の報道番組で、スペイン国王の狩りについて言及していたので、思い出した。
金融危機から、ギリシャに続いて、ユーロ安の原因ともなっているスペイン、経済状況はずたずたらしい。失業率は23%とか。ほぼ4人に1人が失業状態にあることになる。

その中で、スペイン国王がアフリカに象狩りにでかけ、怪我をして帰国を余儀なくされて、狩りをした事実がばれたのだそうだ。狩りにかかる費用も莫大なもので(だれかの招待だったらしいが)、国王が動物愛護団体の会長(名誉?)をしているのに、ということも問題になったのだ。

でもこの事実は、ずいぶん以前の話で、テレビ朝日でどうして今更取り上げたのか、きわめて不思議だった。それより、国王と皇太子が、歳費(と言っていいのかどうか)を10%か20%、カットすることになった、という小さな報道をみたのがつい最近である。国王の歳費は、数千万円で、そう高いものではなかったが、王室全体の歳費ではなかったのがちょっと気になった。

スペインの歴史に詳しくもなく、断片的な知識しかないのに、文句をつけるのは間違っているかもしれないが、スペインのみならず、欧州に王室は必要な存在なのだろうか。イギリスも、また北欧も王室不要論が盛り上がってきているそうだ。
スペインは、王制復古の前、フランコ総統という独裁者がいて、彼が王政復古を決めていた。フランコ時代の内戦、弾圧のひどさは、もしかすれば、現在のシリアに相当するかもしれない。
独裁者亡きあと、混乱を避けるには、王室という存在が役に立ったのかもしれない。対立を避け、一応、国王を仰ぐことによって、国としての統一性を保つ役割があるだろう。

しかし、今となって、王室というのが、どれだけの役割を果たしているのか、スペインをみていると、国王やプリンセスの配偶者の馬鹿げた行為などが話題になるだけではないか。

ユーロはだんだん安くなっている。それでも最安値(88円台)ではないというから、その最安値というのが、どんな事情でついたものか、知りたいと思っている。

油断、油断

週末、友人たちがきてくれて、畑仕事を手伝ってくれた。どこをどうしてもらおうと、つれあいと予定をくんでいたのだが、土曜日は雨、日曜日は半日しか仕事ができず、予定の3分の1ほどができただけだった。

今日はそのやり残し分と収穫のため、午前中10時すぎから畑へといった。昨日、所要で外出したので、収穫できず、まずは、キュウリやズッキーニ、インゲン、モロッコインゲンと収穫をすませる。次は週末の残りの草取りを、と取りかかる前に、ジャガイモの畝をみてみると、メイクイーンの畝がたいへんだ。6月に忙しすぎて、メイクイーンの畝に、2度目の土盛りをしていなかった。

その結果、イモはたくさんできているようだが、むき出しになって、太陽にあたり、青く変色したもの、また芽が出始めたものまでできている。枝葉がしっかり育ったので、すっかり安心しきっていたのだ。
油断していた。つれあいと二人、畝にはびこった草をとり、土盛りをしていく。手抜きはやっぱりいけないのだ、となすべき仕事をしなかった共同責任を認めあう。

ところが、別の場所に植えた男爵イモのところが2か所、荒らされている。週末に草取りをしたところだ。イノシシの仕業なのだろうか。それにしては、他が荒らされていない。
汗だくになり、泥まみれになって、畑仕事をしても、イノシシ様のご訪問を受けると、無駄骨と化す。どの畑も周囲をかこっているけれど、それがどれほど有効なのか、確信はない。

結論は、なすべきことをなして、天命を待つである。

おいしいワイン

週末に友人の来訪を得た。「遠方より友きたる、楽しからずや」である。プリウスの新車にのって、都会の香りぷんぷんとしている。
おみやげ不要とあらかじめ言いそびれたからかもしれないが、いろいろ心配りをしてくれている。おいしいケーキとパンはうれしいお土産だ。

それに加えて、ワインがあった。それも年代物である。その選び方がすばらしい。シャンベルタン1998年を持参してくれた。ナポレオンが好んだワインだ。ナポレオンフリークの私のための選択なのだ。

夕食の席であけることにする。実においしかった。どうおいしかったかと言えば、
渋くない、甘くない、苦くない、口の中に違和感が残らない、フルーティでない、重くない、軽くない、とナイナイづくしでしか、表現できないのだが、実に飲み心地がいい。すいすいと飲んでしまう。ソムリエなら、適格な表現ができるのだろうが、おいしいの一言で終わってしまうのが残念でもある。

ナポレオンは1800年ごろの人物だから、彼が飲んでいたシャンベルタンと同じかどうかはわからないけれど、彼の好みのワインは、私も好きな味だということはわかった。シャンベルタンは、ブルゴーニュ地方のGevrey-Chambertin産のワインである。ナポレオンはどんなことから、このワインを好むようになったのだろうか。

私はワインは好きなのだが、そんなに凝る方ではない。したがって、ワインについて何かを述べることもできないし、なり年などをいうこともできない。南仏に住んでいた時、身近なワインを好んでいた。ボルドーやブルゴーニュというより、アヴィニョンあたりのもの、エックスやバンドールのワインを、ドライブがてら産地で買ってきていた。

日本に帰ってからは、ほとんどの場合、値段で決めるといういい加減さである。
そうか、エピソードで選ぶ方法もあった、とシャンベルタンを飲んだ夜、ナポレオンの本をひもといてみた。

味付き塩コショウは日本の発明?

5月、フランスで2週間滞在した代父母の家では、90歳の代父が料理をしていた。味覚が少し変わったのか、塩分に鈍感になったようである。
ある日の夕食に、オムレツを作ってくれたが、パンチェッタをまずオリーブオイルで炒めている。なかなか本格的なのだな、と感心していた。パンチェッタに相当の塩分があるから、卵には塩をいれないでくれるといいのだが、と思っていたが、一つまみではきかない塩をふりこんでいるのを見た。

やばい!!と叫んだが、すでに遅い。代父はどうした?と聞いてくる。塩が多すぎた、と返事をした。食べ始めたが、代父も代母もそう感じないらしい。私はほんの少々をきりわけて食べ始めたのだが、もうしょっぱくて食べられない。申し訳ないけど、と残してしまった。

日本に帰ってきて、あの塩分の取り方は異常すぎると気になってしかたなかった。そこで、自宅で使っている「味付き塩コショウ」というのを送ることにきめた。
これは数社から発売されているようだが、友人が炒め物などにとても便利よと、教えてくれ、それ以来、ずっと使っている。塩と胡椒が微妙な組み合わせで、どちらも降り具合でちょうどいいようになっている。

グルメの国フランスの、高齢の、すこし頑固な代父に送って、こんなものはいらないと言われればそれまでのことと、おかきなどとともに送ってみた。
大成功だ。代父は大変喜んでいる。こんなに新鮮で、香り高い調味料は初めてだ、と絶賛している。重宝しているらしい。来年、またフランスへ来る時には、ぜひ持ってきてほしいということだ。

持参するどころではない。もうすぐにでも次の品を送ってあげます。というところで、この塩コショウ、日本ではどのくらい普及しているのだろう。ちょうど来宅していた、料理好きな友人に聞いてみた。使っていないという。さあ、これからちょっと調査を続けてみよう。

フランスから買ってきたバジル入りのハーブ塩はまたこちらで大好評、調味料もお国ぶりがあるけれど、面白い現象だ。

昔もいじめはあったのかしら

このごろの「いじめ」問題に関する報道をみていて、私自身の小学校、中学校時代を思い出した。もう思い出せないほど、昔のことなのだけれど。

自分でいうのはなんなのだが、小学校時代から、身長はあり、大人ばかりの中で育ったので知識はあり、成績もよかった。いつも学級委員、いわゆる級長、中学では学級委員長(私のクラスは男性が委員長、私は副だったが)、をつとめていた。

わりと姉御肌で、面倒見がいいというのか、気がつくというのか、新学期にはきっと忘れものをする人がいるだろうと、持参が義務付けられた雑巾を余分にもって行ったり、特別の図画工作という場合には、道具類を複数持参するという性格だった。

人をいじめるという意識はなかったが、ひとつ気持ちに残っていることがある。それは小学校高学年の時、同じ方向で帰宅する友達3人でつるんでいた。私が一番近かった。
当時、私は個人差があるということに気付かなかった。成績の差は、努力の差と思っていた。だからその3人組の残り二人に対し、「物足りない」と言ってしまったのだ。

二人を傷つけてしまったのだろう。翌日から、二人は私と別に下校するようになった。何が原因かわからないまま、他に下校仲間をみつけたのか、あるいは一人で帰ることに慣れたのか、そのまま小学校は終わったようだ。

わが家は11人家族で、貧しい生活だったが、母も働いていたので、給食費を納められないというほどではなかった。納められない級友がいたことは知っていたが、それをいいたてるような子どもたちはいなかったと思う。
ある大会社の社宅に住む同級生のところでは、遊びに行った級友たちにケーキと紅茶が出され、そんな接待をうけたことがないので、びっくり仰天し、帰宅して親に話したものだった。

ある級友の家は、ラーメン屋で、遊びにいったら、ラーメンを1杯御馳走してくれた。ラーメンを食べる、外食をするというのは、わが家にとって、とても贅沢なことだったので、そのラーメンにも感激し、毎日食べられる級友がうらやましくなったけれど、商売物のラーメンを毎日食べられるはずがないことなど、小学生の私には理解できなかった。

体操服がお下がりであっても、上履きが人と違っていても、そう気にするひとはいなかったように思う。そんなことで、はやしたり、いじめたりはしていたなかった、と思う。
やたら、教条的な正義感で、掃除当番をさぼる男児などには、強くあたった記憶はあるのだが。。。

去年は中学を卒業して50年を記念する同窓会があったけれど、いじめられたという人はだれもいなかった。出席していなかったのかもしれないが。それより、いじめられたよな、という先生はいたけれど。

今年の虫

今年はなかなか暑くならず、いつまでも冬モードのままでいたのだが、数日前から、当地でも日中30度を超えるようになり、あわてて夏モードに変えている。

花の咲き方も今年はちょっと変わっていて、昨年は咲かなかった花が咲いたり、突然変異の現象がみられる。

自然に恵まれたところだから、虫は多い。共存していかなれればならない、と土地の方は言われるが、虫愛ずる姫でもないし、虫は苦手の最たるものだ。
例年であれば、ジャガイモにはテントウムシがたくさんついている。が、今年はあまりついていないようだ。それはいいのだが、毛虫の多さにはうんざりする。

昨日は、ブルーベリーとばらについた毛虫を、ほんの20分うちに、30匹殺した。圧殺の刑に処すと、つれあいは言って、長靴で踏み殺している。バラなどかわいそうに、やわらかい葉が食い荒らされて、裸になっている。
こんなに毛虫がでたのは初めてのことだ。

これからはあのいやなカメムシもでてくるだろう。これは本当に要注意の虫だ。黙って洗濯ものにまぎれこんでいる。取り込むときによくチェックしないと、たんすのなかにはいりこんで、あの独特のにおいがついてしまう。

野菜にはまた別の虫がおり、直接台所に持ち込むと、キャーと叫ぶこともしばしばだ。
昔はもっと虫に慣れていたはずなのに、とつれあいは冷たい。ピョンピョン虫とよぶ俗称「便所コウロギ」を捕まえるのは、まだ動体視力に優勢な私の仕事である。

虫の鎮まる冬が待たれるこのごろだ。
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